ひとりのじかん

考えることをやめないために

現実と経験は繋がっていく。

ときどき、夕飯が二回ある日があった。
 
一回目は母のごはん。
お腹いっぱいまで食べて、「おいしかった」と伝えれば微笑んでくれて、それが嬉しかった。
 
二回目は父のごはん。
お腹は空いていなかったが、美味しいごはんだったし、「おいしかった」と伝えれば微笑んでくれて、それが嬉しかった。


父に夕飯を食べたことを伝えればいいだけのことだが、その嬉しさと、どちらか一方だけを選ぶことの後ろめたさで、当時の私にはそれはできなかった。
 
 
こんな不思議な家庭になった理由は、幼き頃の私がケンカをするたびに腹痛をおこし、幼稚園児にして胃腸炎になったため。
家からケンカはなくなり、その代わり会話をすることもなくなった。
 
 
それから何か問題が起きれば、父と母のそれぞれの話を聞いて子供の私が判決をするというのが我が家の暗黙のルールになる。
 
 
例えば、母が仕事で正社員に昇格するとき。
父は幼い子供達を残して仕事をすることを反対し、母は幼い子供達を育てるために仕事が必要だという言い分。
私が寂しさを心の奥に片付けて、「俺も頑張るから、お母さんもがんばってね」と言うと、母は涙を流した。それは今でも鮮明に覚えている。
 
 
そんなことを続けていれば、当然、変に大人びた子どもらしくない子供になる。
 
親戚のおばちゃんには苦労してかわいそうだなんて同情されたが、かわいそうと言われるのは嫌いだった。
小学生の高学年の頃には、こんな家族だからこそ身についている他の人にはないものが自分の中に育っていることを知っていたし、それが恵まれてるんじゃないかとも思っていた。(今考えればそう思うしかなかったのかもしれない。)
 
 



どうして自分が俯瞰的な視点で物事をとらえる人間になったのかを考えたら、こんなことを思い出す。
 

人の意見をよく聞いて、真ん中を探す。
本質はなんなのかを考える。
それが家族からもらった、大事な大事な私の価値観。
 
 
 
 
ちなみに、母が正社員になる判断から20年ほどたった今では、父は心臓を患い、母は大企業の管理職にまでのし上がって、家族を守っている。
 
おそらく、私が小学生のときにだしたあの判断を、間違いにしないために必死になってくれたんだろう。ありがとう。
 
 


忘れてしまっていても、現実と経験は繋がっていく。